2008年6月3日更新 記者 おとなっち


丸善創業者 早矢仕有的とは誰ですか?A福沢諭吉との出会い

早矢仕有的(1837−1901)は現在の岐阜県山県市で生まれます。父親が医者を営んでいましたが、有的が子供の頃に亡くなってしまいます。そして、父親の意思を引き継いで、医者になる事を決意するのです。

有的の能力はずば抜けていました。18歳の時にはすでに医者になっており、若くして町の信頼を得ていたのです。そんな能力を見抜いた1人の男性が現われます。「高折善六」(たかおりぜんろく)です。

「こんな町医者で終わらすのはもったいない。この能力を江戸で活かさねばならない」と考えた高折は、餞別として「10両」と「心のこもった和歌」をもって有的を送り出したのです。(この恩を忘れなかった有的は、高折善六の「善」をとって丸善にしたとの説があります。

その後、日本橋の開業で成功を収めた有的でしたが、『医学や蘭学(ヨーロッパの学問)の知識だけでは駄目だ!これからは英学(黒船来航後イギリスやアメリカなどの学問が日本にも入ってきた)もちゃんと身につけねばいけない』と考えます。そして、30歳を過ぎた頃に福沢諭吉の私塾(この私塾は後に慶応義塾となります)に入学するのです。

福沢諭吉本人が「英学」・「経済学」を有的らに教えます。そして、諭吉は有的の経営者としての能力を見抜き、会社を立ち上げる事を勧めるのでした。(諭吉は自らも資金援助を行うほどの力の入れようだったそうです)

「会社設立趣意書」の考えは「諭吉」の経済に対する思いも込められており、師弟関係というよりも「同士」としての関係だったそうです。(福沢諭吉が二歳年上でした)

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