2008年7月5日更新 記者 おとなっち   携帯版はこちらです


「山田六郎」と「くいだおれ人形」

2008年7月14日現在、柿木道子会長はくいだおれ太郎と一緒に大分に旅行へ行ってます。この行為をマスコミなどが報道し、ちょっとした盛り上がりを見せています。

人形と旅行に行くなんで斬新な発想ですよね。お店が閉店したのに、露出を惜しまない会長の行為に「大阪人のサービス精神は凄いな~」と思いました。

しかし、違った角度からこの行為を拝見すると、「もしかしたら計算しているのかな?」との憶測も生まれてきます。くいだおれ太郎は商標登録されているので、他人がこの人形を勝手に使用することができないのです。

一緒に旅に行く行為は、メディアを巻き込んでの「商標価値を高めよう!」という考え方もできるからです。この仮説が正しければ、旅行から帰るとすぐに交渉段階に入ることでしょう。メディアが今後「くいだおれ人形」を取り上げてくれる機会に限りがあるからです。「人気が高まっている時に、価格面での交渉を行う事で有利に進めよう」と考えるからです。

しかし、会長の会見での発言を見る限り「商売は信用が大切だ」との思いが伝わってきます。くいだおれの廃業は、ビルの老朽化だけではなく、経営不振に陥った事が大きな原因の一つなのです。会長は「皆さんの迷惑にならないうちに店をたたむ」との発言から、利己的に物事を考るのではなく、周りへの配慮もできる方だと感じられました。大阪の宝物になった「くいだおれ人形」を、道頓堀の象徴のために残しておく可能性も十分考えられます。

くいだおれの名前の由来は「京の着倒れ、大阪の食い倒れ」という”ことわざ”を引用しています。

京の着倒れとは、体面を気にする京都の人々は「身を滅ぼすほどの高価な着物を身に着ける気質」から、このような言葉が使われています。一方、大阪の食い倒れとは「身を滅ぼすほど食べ物にお金を使う」という意味があります。お客さんをいっぱい呼びこめるお店を作ろう!という思いから、このネーミングにしたそうです。


「くいだおれ」の創業者は柿木会長(次女)の父親である「山田六郎」さん(1905-1983)です。山田六郎氏を調べてみると「経営センス」・「経営方針」・「経営バランス」がずば抜けている人だと見受けられました。

この山田六郎には面白いエピソードが数多く存在しています。ビルを建設するために銀行に融資依頼をするのです。銀行側からは前向きな発言がありました。「この街並みにあわない人形を撤去してくれたら融資してもいいですよ」との応えが返ってきたのです。

しかし、食い倒れ人形を大切にしていた山田六郎はその融資を断るのでした。そして、自分の力で、地下1階地上9階建ての”あのビル”を建てたそうです。

融資を断ってでも人形に執着した経営者は今まで聞いた事がありません。

そして、家族に宛てた遺言にはこのような事が書かれたのです。「支店を出すな」・「家族で経営せよ」・「看板人形を大事にせよ」と・・・・そこまでして、人形にこだわりを持っていた山田の思惑が、現在のくいだおれ人形の知名度へと反映されるのです。


山田は戦後間もない時期にふと考えるのでした。「これからの時代は、家族みんなで楽しめる空間が必要だ!その為には子供に気に入られるお店でなければいけない」との思いから、あの人形を開発したのです。「子供に振り向いてもらうためには動く人形でなければいけない!」との考えから1950年には電動式の人形へと変貌を遂げます。

くいだおれ人形が全国区に躍り出るのは、山田が亡くなった後のことです。1991年、当時弱小チームだった「阪神タイガース」が優勝したのです。そして、1992年にも優勝争いをしていた時の事。熱狂的なタイガースファンが、道頓堀にくいだおれ人形を落とす計画が取りざたされたのです。

普通の経営者でしたら「人形」を店の中に非難させるなどの対応を取る所を、逆転の発想でお店の知名度を広げていくのです。なんと、水中眼鏡と浮き輪を身につけ「わて、泳げまへんねん」とおどけて見せるのでした。

心の大きさを示す事で、お店の好印象が全国へと広がり、観光名所へと発展させていくのです。先代の教えである「看板人形を大切にせよ」という理解しがたい言い伝えが実を結ぶ結果となったのです。  次の経済人はこちらです


参考資料
ばかたれ、しっかりせ―くいだおれ会長・山田六郎伝


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