2009年3月13日更新 記者 おとなっち   携帯版はこちらです


「榊原英資」とは誰ですか?前半

榊原英資(さかきばらえいすけ)さんですか?
う~~ん 見たことも聞いた事もない・・・

「じゃあ ミスター円 と呼ばれてた人といえばわかるでしょ?」

(┘¬└) わかりましぇ~~ん♪

榊原さんは東大を卒業して1965年に大蔵省で働く事になります。しかし、1977年に大騒動を起こします。なんと、自分が働いている組織や公務員 また自民党に対して批判的な論文を発表したのです。

官僚たちは怒りました 「なんでこんな論文を書くんだ!」

榊原さんは上級試験を合格して入庁していましたので、将来はトップになれる可能性がある人物です。しかし、この件が起きてしまい出世争いから脱落してしまいます。

時は流れ~~

1993年に政権交代が起こり、なんと自民党が野党に転落してしまったのです。翌年の1994年に社会党の村山さんを自民党が担ぎ、また「新党さきがけ」という党も、自民党に協力をする形で再び政権を奪い返します。

自民党「村山さん!俺達の仲間になったら、あなたは総理大臣だ!一緒に政治を行っていこう」

村山内閣が発足して、大蔵大臣に就任したのが「新党さきがけ」の代表だった武村正義さんです。

武村 「今の官僚制度は間違っている!霞ヶ関を改革をしなければいけない・・・大蔵省に素晴らしい人材はいないだろうか? おお~ 出世レースに敗れた榊原がいるではないか!」

当時、榊原さんは研究所の所長を務めており、出世レースとは無関係の人物でした。

武村 「榊原をナンバー2である国際金融局長に抜擢したい・・・しかし、人事を決めるのは大蔵省の事務次官だ!今の事務次官では霞ヶ関を改革することはできないだろう・・・」

当時の大蔵省事務次官は「10年に1人の人材」といわれている才能の持ち主でした。武村さんは事務次官を首にし、自分と同じ考えの人物(篠沢恭助)を事務次官としました。

前例のない大出世を果たした「榊原英資」さん!
その後、為替政策での快進撃が続き、ニューヨークタイムズからは「ミスター円」とまで呼ばれます。果たしてどのような仕事を行ったのでしょうか?

そして、財務官の退任を一週間前に控え、アメリカに対して喧嘩をしかけます。一体どんな事を行ったのでしょうか?  続きはこちらです


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