前回のレポートでは、榊原英資さんが出世する所まで書きました。通常ではありえないような大出世をはたした榊原さん。どのような政策を行うのでしょうか?
資料はbloomberg
から
緑の線が「ドル・円相場」です。
榊原さんが国際金融局長に就任したのが1995年5月です。しかし、1995年4月には1ドル79円75銭をつける円高の時代でした。巷では「円高不況」などといわれた時代です。
榊原さんのお仕事は円高を円安に戻す事です。
榊原 「今の円高では、日本で作ったものを海外で販売しても会社は儲からない・・・ 統計などを調べても、この円高はあきらかにおかしい・・・ きっかけさえあれば円安になるのだ・・・」
円安ドル高にするためには、円をドルに変えるように仕向ければ良い!
そこで考えたのが公定歩合の引き下げです。日銀が銀行に貸し出す金利を1パーセントから0.5パーセントに引き下げました。
海外の金融機関は日本の金融機関から安い金利でお金を借り、金利の高いアメリカの金融機関にお金を預けるようになります。「円を借りてドルに変えることで円安になりました」 これを
キャリー取引といいます。
次の政策は市場介入です。
「外国為替資金特別会計」のお金を用い、とにかくドルを買って買って買いまくったのです。
さらに、榊原さんの人脈をフルに活かしました。ジョージ・ソロスなどの投資家を非公式で会談し、円安の必然性を訴えます。また、ハーバード大で客員教授をやっていた時の友人に「サマーズ財務副長官」がいました。サマーズさんは通貨政策の責任者でしたので、色々と話し合いが行われていたそうです。
そして、就任してわずか数ヶ月で1ドル100円の水準まで円安に導きました。この偉業にニューヨークタイムスなどは「ミスター円」などと賞賛する事となるのです。
1997年国際金融局長からトップである財務官に出世した榊原さん。しかし、1999年に度肝を抜かす事を行ったのです。なんと、退任一週間前にアメリカの根回しをすることなく、円安にするためにドルを買いまくってしまったのです。
もともと媚びない外交を行っていましたが、アメリカに喧嘩とも取られかねない行動を起こしたのです。当時、先進7カ国との間で1987年に「ルーブル合意」という約束を交わしていました。これは「各国が協調して為替を安定させましょう」というもの。
榊原さんの行動はこの合意を無視した行動だったのです。この市場介入で110円台半ばで推移していましたが120円台前半まで円安になりました。
アメリカ 「お前達がそんなことをするのならもう協力しね~」
この市場介入の結果、上のグラフの通り一気に1ドル100円まで円高になってしまいました。次の財務官に就任した人がなんとか沈静化をはかり再び円安になるのです。
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