カラオケに限らず、その人の得意なものを「十八番」と書いて「おはこ」言います。何故「オハコ」というのでしょうか?得意なものだから「一番」でもいいと思うのですが・・・(^^)
「オハコ」という単語を調べてみたら、なんと歌舞伎の世界にたどり着きました。しかし、歌舞伎の事が良くわからない・・・。よし!まずは歌舞伎の歴史を簡単に調べてみよう~♪
時は1582年、出雲阿国(いずもの おくに)という女の子がいました。彼女は「ややこ踊り」という少女限定の踊りで一躍人気者になるのです。しかし、年とともに「お姉さん」になってしまったので、ややこ踊りが踊れなくなりました。
そこで1603年、大人の社会を踊りで表現することを決意します。この頃、常識では考えられないような服装や行動をする人たちが出現し、彼らのことを「傾き者」(かぶきもの)と言いました。
阿国は、この「傾き者」と呼ばれている人たちを、得意な踊りで表現し世間からの評判を勝ち取るのです。そうなのです。歌舞伎の名前の由来は「傾き者」からきているのです。そして、歌舞伎踊りの人気にあやかり、出雲阿国を模倣する人たちが現われてきます。
歌舞伎には、いくつかの流派が出来上がりました。その中の一つに市川流があります。市川流の本家にあたるのが市川團十郎家で、「新之助」→「海老蔵」を経て「團十郎」となる事が一般的な流れです。
そして、本題の「オハコ」の話です。
七代目市川團十郎(1791-1859)が最も得意としていた演目を集めた「歌舞伎十八番」を1832年に発表しました。得意なものを18番というのはここからきているのです。
十八番を「おはこ」と呼ばれるようになったのは、その台本を箱に入れて大事に保管していたので「おはこ」と読むようになった説
もう一つは、高価なものは箱などに保管しているケースが多いと思うのですが、鑑定士が「この作品は本物です」と認定してもらうことを「箱書き」というそうです。市川團十郎の歌舞伎十八番は本物です!との意味合いから「箱書き」をとって「オハコ」としたとの説がありました。
七代目・市川団十郎として襲名されたとき、彼はまだ10歳でした。しかし、メキメキと歌舞伎の才能を伸ばしていき、「東海道四谷怪談」を演じたのをきっかけに人気に火がつくのです。
しかし、天保の改革の時、贅沢をしすぎて江戸を追放されてしまいました(笑)その後、名を変えて地方で大活躍!再び江戸へ戻り、歌舞伎役者として舞台にたつのです。
ちなみに現在の市川團十郎は12代目になります。
参考資料
成田屋 市川團十郎・海老蔵公式ホームページ
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