2008年8月17更新 記者おとなっち


「仏の顔も三度」 何故三度なの?

「仏の顔も三度」ということわざがあります。どんなに温和な人がいても、失礼な事を3回行うと”さすがに”腹を立てますよ。との例えから、傍若無人な態度を何度も行ると怒られる。という意味です。

しかし、何故三回なのでしょうか?4回でもいいじゃないの~?という事で、今回は「言葉のルーツ」を探ってみました。

仏の顔も三度までの「仏」とは、実は釈迦の事を指しています。
「え?釈迦が怒ったの?」

「いえ どうやら違うそうです」
現在使われている言葉の意味とは少し違う形で、過去の歴史が存在していました。

釈迦は「ピラヴァスツ」という国で生まれます。そして時が流れ、隣の国「コーサラ」に滅ぼされようとしていたのです。釈迦はこの事情を聞き、国に帰国することを決意します。

枯れたチーク樹(釈迦族の象徴的な木)の下に座っていた釈迦の目の前を、国を滅ぼしに出陣していたコーサラ王に出くわすのです。

コーサラ王は釈迦に一礼してこう言いました。
「何故枯れた木の下にいるのですか?茂った木々の下にいれば涼むではないですか?」

釈迦はこたえます。
「王よ 枯れ木でも親族の木々の下は涼しいものだぞ」

コーラス王は昔からの言い伝えを思い出します。「僧になり仏法を勉強している人に出くわしたら撤退せよ」と・・・。慌てて城に引き返すのです。そして、再びピラヴァスツを滅ぼそうと出陣します。すると、枯れ木の下にまた釈迦が座っているではありませんか。

出陣と撤退を三回繰り返した後、四度目に枯れ木の下を通ると釈迦の姿がありませんでした。仏教の考え方に「因果応報」というものがあります。過去の悪事が現在に返ってくるというものですが、釈迦はこの「因果応報」を受け入れたといわれています。

仏の顔も三度とは、釈迦が枯れ木の下にいた回数が三回だったのです。